法界寺

日野薬師を祀る法界寺

京都の山科から宇治に向かう真ん中あたり、伏見から東側の場所に日野の里と呼ばれる場所があります。
鴨長明が方丈記を書いた場所としても知られていますし、浄土真宗を改組した親鸞聖人の誕生地としても知られています。

この一帯はかつて藤原北家の支流である日野家の山荘があったと言われている場所です。
そこで日野の里と呼ばれるようになっており、このエリアで信仰されているのが日野家の菩提寺である法界寺です。

平等院鳳凰堂と同じ時期に建てられたと言われている国宝の阿弥陀堂、安産、授乳、子育てに霊験のある日野薬師で知られています。
日野のお薬師さんは普段は秘仏であり参拝することができません。
しかも開帳するように安置がされていないので、ご開帳はほとんどないです。

しかし、2016年の春に京都非公開文化財特別公開の一環でご開帳がされています。
これは51年ぶりのことであり、とても貴重なものでした。
次は未定であり、万が一の場合には同じように50年近くご開帳されない可能性もあるのです。

伝教大師

日野の里は日野家の別荘地として知られていますが、永承6(1051)年、日野資業(ひのすけなり)が出家するにあたってお寺を改めることにしました。
日野家では家祖である藤原家宗(ふじわらのいえむね)の時代から伝わっていた薬師像よりも大きめの薬師如来を作ってお堂を建立します。
これが法界寺の始まりとなります。

法界寺は現在阿弥陀堂と薬師堂のみですが、かつては日野一族が私財を投じて整備したことで、観音堂や五大堂といったものも立ち並んでいる荘厳な場所でした。
その後、兵火で消失してしまい、現在では阿弥陀堂でのみ栄華を極めたであろう様子が垣間見られるのみです。

国宝に指定されている阿弥陀堂

阿弥陀堂は国宝にも指定されており、承久3年の火災後に鎌倉初期に再建された創建時のものに近いものとなっています。
西方研の宝形の作りをしており、とても立派で美しいお堂です。

このお堂は末法思想をベースにした典型的な阿弥陀堂の建築です。
末法思想については平等院が有名であり、どうしても自分が死んだ後あみだのライのいる極楽浄土に行きたいということでそのような世界観を現世に作り込んだ場所を作ろうという思想のことを意味します。

平等院では極楽浄土の世界を鳳凰殿中だけでなく境内の定演まで広げていますが、法界寺もこれに近い造りをしています。
阿弥陀堂の前には池が置かれており、阿弥陀堂側を彼岸、私たちがいる世界を此岸(しがん)として表しており、法界寺では阿弥陀仏は東を向いていますし池には蓮が植えられて極楽の世界観を表すものです。

道内の見所は阿弥陀仏だけではありません。
像の周りでお堂を支えている4本の柱は仏が書かれた様子が残っており、平等院鳳凰堂と同じ世界観になっています。