法界寺

日野薬師を祀る法界寺

京都の山科から宇治に向かう真ん中あたり、伏見から東側の場所に日野の里と呼ばれる場所があります。
鴨長明が方丈記を書いた場所としても知られていますし、浄土真宗を改組した親鸞聖人の誕生地としても知られています。

この一帯はかつて藤原北家の支流である日野家の山荘があったと言われている場所です。
そこで日野の里と呼ばれるようになっており、このエリアで信仰されているのが日野家の菩提寺である法界寺です。

平等院鳳凰堂と同じ時期に建てられたと言われている国宝の阿弥陀堂、安産、授乳、子育てに霊験のある日野薬師で知られています。
日野のお薬師さんは普段は秘仏であり参拝することができません。
しかも開帳するように安置がされていないので、ご開帳はほとんどないです。

しかし、2016年の春に京都非公開文化財特別公開の一環でご開帳がされています。
これは51年ぶりのことであり、とても貴重なものでした。
次は未定であり、万が一の場合には同じように50年近くご開帳されない可能性もあるのです。

伝教大師

日野の里は日野家の別荘地として知られていますが、永承6(1051)年、日野資業(ひのすけなり)が出家するにあたってお寺を改めることにしました。
日野家では家祖である藤原家宗(ふじわらのいえむね)の時代から伝わっていた薬師像よりも大きめの薬師如来を作ってお堂を建立します。
これが法界寺の始まりとなります。

法界寺は現在阿弥陀堂と薬師堂のみですが、かつては日野一族が私財を投じて整備したことで、観音堂や五大堂といったものも立ち並んでいる荘厳な場所でした。
その後、兵火で消失してしまい、現在では阿弥陀堂でのみ栄華を極めたであろう様子が垣間見られるのみです。

国宝に指定されている阿弥陀堂

阿弥陀堂は国宝にも指定されており、承久3年の火災後に鎌倉初期に再建された創建時のものに近いものとなっています。
西方研の宝形の作りをしており、とても立派で美しいお堂です。

このお堂は末法思想をベースにした典型的な阿弥陀堂の建築です。
末法思想については平等院が有名であり、どうしても自分が死んだ後あみだのライのいる極楽浄土に行きたいということでそのような世界観を現世に作り込んだ場所を作ろうという思想のことを意味します。

平等院では極楽浄土の世界を鳳凰殿中だけでなく境内の定演まで広げていますが、法界寺もこれに近い造りをしています。
阿弥陀堂の前には池が置かれており、阿弥陀堂側を彼岸、私たちがいる世界を此岸(しがん)として表しており、法界寺では阿弥陀仏は東を向いていますし池には蓮が植えられて極楽の世界観を表すものです。

道内の見所は阿弥陀仏だけではありません。
像の周りでお堂を支えている4本の柱は仏が書かれた様子が残っており、平等院鳳凰堂と同じ世界観になっています。

清凉寺

光源氏の別荘地、清凉寺

清浄寺は京都の嵯峨野にあるお寺です。
通称嵯峨釈迦堂とも呼ばれています。

紫式部の小説源氏物語の主人公である光源氏のモデルとされている源融の別荘があった土地に建つお寺としてお有名です。
嵯峨野釈迦堂には日本三如来の一つである釈迦如来、生身のお釈迦様と呼ばれる霊像が祀られています。

釈迦如来というのは普通秘仏です。
毎月8日の午前11寺以降と霊宝館が特別公開される4、5、10、11月のみに公開されます。

生身のお釈迦様

清凉寺の御本尊である釈迦如来はインドから中国を経て日本にやってきたと言われています。
そのため三国伝来の釈迦如来と呼ばれているものです。

神は如来のシンボルである螺髪ではありません。
渦巻型になっています。
また、顔はエキゾチックで優しい笑顔をしています。

このような特徴的な釈迦如来というのは全国的に多くあるのですが、その元祖と言われているのが清凉寺です。
そのため全国に広まったものについては清凉寺式釈迦如来という言い方がされています。

このお釈迦様が日本に渡って来るにあたってある霊験が伝えられています。
この像を日本にもたらしたのは奈良の東大寺の僧侶です。
清凉寺を開山した僧侶であり、本来は中国でこの像を模倣して持ち帰る予定でした。

しかし、模倣したものではなく本物が日本に渡ってきます。
これは僧侶が真の仏法を日本に持ち帰りたいという思いを持っており、許可を得たお像を模刻することを決意します。
模刻が出来上がり日本に帰ろうとした夜、夢の中で本物像が日本に渡って仏法を広めたいと願ったことで入れ替わったのです。

これは一説にすぎないですが、このような経緯があり生身のお釈迦様が日本に渡ってくることになるのです。
中国から渡ってきたものだという証明として、清凉寺の山号が五台山となっています。
五台山というのは中国で古くから霊山として信仰されている山であり、清凉山とも言われているという点からも、お釈迦様が中国からきたのではないかということが考えられているのです。

源融ゆかりの地

嵯峨野はかつて王朝貴族の別荘地として親しまれてきた場所です。
源氏物語の光源氏のモデルと言われている源融(みなもとのとおる)の別荘もあったとされています。
境内にある塔の後ろには源融のお墓もあります。

このような場所が三国伝来のお釈迦様を本尊とするお寺になったのは理由があります。
源融は写経や造仏に着手をしたものの志半ばで他界してしまうのです。
そのため、子供達が完成させて山荘をお寺に変えたことでお釈迦様を境内で祀るようになったのです。

元々は釈迦堂よりも山荘のあるお寺がメインでした。
しかし、時代が進む中で釈迦信仰が流行することで釈迦堂の方が有名になりこちらがメインになったのです。

法輪寺

十三まいりで有名な法輪寺

法輪寺といえば京都嵐山の中腹の十三まいりで有名です。
御本尊である虚空蔵菩薩は日本三大虚空蔵の一つであり嵯峨の虚空蔵さんという愛称でも親しまれています。

この虚空蔵というのは決して尽きることのない無限の宝庫という意味であり、虚空蔵菩薩というのはそこから多くの智慧や財産が与えられるという大変ありがたい仏像です。
京都では数え年で13歳を迎えた少年少女が知恵を授かるために法輪寺を訪れる十三まいりというものが習慣となっています。

法輪寺の歴史

法輪寺の創建は奈良時代の和銅6(713)年であり元明天皇の勅令で行基菩薩が建てたのが始まりです。
その時は木上山葛井寺(かずいのでら)と呼ばれており、国家安穏、万民の繁栄、五穀豊穣、産業の興隆解いたことを祈るお寺だったと推測されています。

平安京以前はこの地域では中国から渡来した一族が開発をしてきた地域で、日本に農耕や工業といった技術が伝わった地域です。
そして現在の法輪寺ではこの一族を祀っており、これが葛井寺なのです。

その後、弘法大使空海の弟子である道昌がこの地で虚空蔵菩薩を感得したことで一木で虚空蔵菩薩を造り安置したことで寺号を法輪寺に改めました。
これが法輪寺の始まりです。
道昌は山腹を開いて堂塔を回収したり、桂川の修築をし、法輪寺橋をかけて船の開港をしたりとこの地域の繁栄に大きく貢献をしました。
このときかけた法輪寺橋が現在の渡月橋につながります。

渡月橋は月が渡る橋という名前がつけられています。
これは鎌倉時代の亀山上皇がこの橋を渡るように移動している月を見てこの名前をつけたそうです。
現在の渡月橋は当時のものとは違うものであり、昭和9年に三条通りの拡張工事で今の形になりました。

十三まいり

唐に渡る前の若き日の空海が虚空蔵求聞持法という記憶力が増進するという週報を使って無限の記憶力を身につけたというエピソードがあり、これを行うときに祈る本尊が虚空蔵菩薩です。
この虚空蔵菩薩に数え年で13歳になった時に福徳と智慧を授かりに参拝することが十三まいりと言われています。

法輪寺は十三まいりのお寺として有名です。
最初に行われたと見られるのは平安時代に在位していた清和天皇です。
清和天皇は幼いうちに帝位についたのですが、清和天皇が数え年で13歳になった時に法輪寺で法要を行い、これが貴族の間で十三まいりとして定着をしました。

一般庶民が行うようになるまではかなり時間がかかっており、一般庶民に定着したのは江戸時代中期です。
そこから京都では法輪寺への十三まいりが習慣となったのです。
前以て用意しておきたいものは好きな漢字一字であり、これが自分の授かりたい漢字になります。

光丸山法輪寺

日本一の大天狗がいる光丸山法輪寺

光丸山法輪寺は栃木県大田原市佐良土(さらど)にあります。
ここには日本で最も大きいと言われる天狗のお面があることで有名です。

それ以外にもお寺なのに鳥居が立っていますし全国的にも珍しい神社です。
ここでは光丸山法輪寺がどのようなお寺なのか、そして見学スポットを紹介していきます。

光丸山の鳥居

光丸山法輪寺はJR宇都宮線の西那須野駅からバスで35分ほどのところにある光丸山前のバス停から訪れると近いです。
光丸山に向かう途中にある光丸山奥之院一の鳥居という看板が見えたら立ち止まりましょう。
そうすると御行川(岩川)という清流をまたぐ大きな立派な鳥居を見ることができます。

鳥居が川にかかっているというのはとても珍しい景色です。
これは信徒の儀式に深く関わっており、一昔前までは信徒は祭礼の前にこの前で沐浴をしてから鳥居をくぐるという儀式があったことに由来しています。

光丸山は貞観2(860)年に比叡山延暦寺の円仁慈覚大師が関東を訪れた際に夢のお告げによって創建されたと伝えられています。
川にある鳥居に代表されるように、このお寺は古くから仏教と神道とが入り混じったものとなっているのが特徴です。
毎年11月3日の大縁日の本妻ではお寺の祭礼では珍しい神輿が天狗の格好をした人とともに街を練り歩きます。

日本一大きなお面

大日堂に隣接している天狗堂の中には寄木づくりとして日本で最も大きな木製の天狗のお面が奉納されています。
高さ2.14メートル、重さ1トンというとても大きな天狗のお面は市の文化財にも指定されている貴重なものです。

この天狗面の奉納は地元の人たちの信仰心があってのことです。
明治初期、この地域では火災や盗難といった災難が相次ぎ、これは天狗の仕業であると考えた人々は明治13(1880)年に天狗のお面を奉納することで鎮めようと考えたのです。
このお面が今でも大事にされており、これまでに二度漆の塗り直しもされています。

枝垂れ桜の名木

勅額門をくぐると右手に西行桜と呼ばれる樹齢800年にも及ぶ大木があります。
出家して日本中を旅して多くの和歌を残した西行法師は欧州行脚の途上でここ光丸山法輪寺にも立ち寄りました。
その際、境内にある枝垂れ桜に感動し歌を詠んだとされています。

残念ながら、現存する枝垂れ桜は西行が見たものとは違うもので、現存するものは2代目です。
しかしとちぎ名木100選にもされている美しいその姿は見ものであり、ぜひシーズンに訪れて鑑賞したいものです。

光丸山法輪寺は神社とも寺院とも違う独特の雰囲気が漂っており、この不思議な空気感は訪れなければなかなか感じられません。
境内の中には自然も多くありますから、自然も合わせて感じたいものです。

建長寺

鎌倉五山の一つ、建長寺

建長寺は臨済宗建長寺派の大本山です。
鎌倉時代である建長5(1253)年に5代執権である北条時頼の時代に創建された由緒のあるお寺です。
歴史の教科書にもよく出てくる南宋の禅僧の蘭渓道隆が開山しました。

この頃、鎌倉と京都では臨済宗のお寺を格付けするという制度がありました。
これが京都五山、鎌倉五山と言われているものです。
建長寺は鎌倉五山の一つであり、その中でも1位のもので鎌倉臨済宗の中でもトップに君臨するお寺なのです。

建長寺は国の重要文化財が複数あります。
参拝客を出迎える山門は特に有名であり、多くの人が立ち止まりその姿を眺めています。
過ごしやすい気候の時期には写真撮影をしたり写生をしたりしている人も多いです。

法堂の雲龍図

建長寺の本尊は地蔵菩薩像で、国の重要文化財にある仏殿に祀られています。
写真撮影も可能ですが、せっかくの機会ですからしっかりと仏様を参拝し手を合わせることに専念しましょう。

本尊の地蔵菩薩像は室町時代に作られたものであると言われており、高さ2,4メートルにも及びます。
柔和なお顔をされており、参拝するにあたって心が和むお顔です。

仏殿の後に参りたいのが法堂(はっとう)という場所で、こちらも重要文化財です。
江戸時代に建てられたものであり、内部には千手観音菩薩が安置されています。
暗がりに浮かぶ神秘的な千手観音菩薩は見ものです。

この法堂の中で特に人気なのが天井に描かれた雲龍です。
鎌倉に居住していた日本画家の小泉淳氏が描いたもので見事な龍の姿が描かれています。

半僧坊まで足を運ぼう

建長寺の境内の再奥まで進んでいくと長い階段が顔を見せます。
これを登りきると高台に出るのですが、その場所が半僧坊(はんそうぼう)です。

半僧坊というのは、建長寺の鎮守とも称されているもので、静岡県浜松市のお寺から歓請されたものです。
明治23(1890)年に建長寺に祀られました。
この半僧坊から先はハイキングコースとなっており、簡単な登山もできるということで鎌倉観光の際に合わせてハイキングを楽しむ人も多いです。

半僧坊は天狗の姿であると伝えられており、山肌には天狗の像があります。
その数は12体にも及び、少し不思議な空気が広がります。
天狗像とともに鎌倉の市街地が眺められるという少し変わった空間です。

関東大震災で半僧坊のご神体が無傷であったことや阪神淡路大震災の際にお札を貼っている家が無事であったことから災害よけのご利益があるということで近年では注目されています。
そこで、せっかくの参拝ですから境内の再奥ですが半僧坊まで訪れて、ぜひ安全祈願をするようにしましょう。
建造物の美しさとともに景色の美しさも楽しめるお寺ですから、過ごしやすい桜や紅葉の季節に訪れて歴史的な建造物と景色の美しさを楽しむことがオススメです。

恵福寺

戌の日にぜひ訪れたい恵福寺

妊婦さんは安定期を迎える妊娠5ヶ月の最初の戌の日に神社やお寺で安産祈願をするという風習が昔からあります。
このご祈祷をしてもらう場所はどこでも良いのですが、京都であれば伏見区にある恵福寺がおすすめです。

女性のような優しい眼差しのお地蔵さんの前で出産の無事を祈ると出産に向けての不安な気持ちを吹き飛ばし、大きな力を授けてもらえます。
ここでは恵福寺がどのようなお寺であるのかを紹介していきます。

恵福寺とは

恵福寺の歴史は鎌倉時代後期である700年前に開山されたと言われている由緒のあるお寺です。
応仁の乱で戦火に見舞われてしまったものの不幸し、1548年には天台宗から浄土宗に改宗します。
これによって浄福寺、西方堂、唯稱院、壽福庵といったお寺を有する大寺院となっています。

明治時代には日野出畑出の山中から今の場所へと移転をし、本堂も新しくなり今の姿になったのです。
本堂内は本尊である江戸時代に作られた阿弥陀如来立像をはじめとし、右脇壇に2躯の阿弥陀如来象、左脇壇には2躯の地蔵菩薩像が安置されており平安時代や鎌倉時代の美しい仏様が揃っています。

そのような仏像群の中でも特に目立つのが左脇のさらに奥にある268センチメートルもある地蔵菩薩です。
日本最大級のものであると言われており、像の大きさや衣の流れなどが永福寺に近い善願寺の地蔵菩薩とよく似ているため、平安時代末期に作られたと推測されています。
奥行きに厚みを持たせていない作りで正面から見ると丸みを帯びているのに横から見るとスリムなお地蔵様に変化することも特徴的です。

腹帯地蔵で安産祈願

この大きなお地蔵様は見た目が優しいということだけでなく、お腹の部分にも特徴があります。
お腹の部分に腹帯のようなものが締められており、ここから腹帯地蔵と呼ばれているのです。
腹帯地蔵ということで、安産祈願として昔から信仰を集めており、現在も多くの人が安産のための祈祷でこの腹帯地蔵を訪れています。

戌の日にはたくさんの人たちが訪れています。
12日に一日巡ってくるものであり、戌の日に祈願をするのはお産が軽く多くの子供を産む犬は安産の象徴とされており、そのために戌の日に安産祈願をするのです。

日本では5ヶ月を迎えた最初の戌の日に無事に出産をすることを祈願して行われるようになっています。
この日に妊婦さんは腹帯を巻き始めると良いとされているので、祈祷された腹帯をいただきお腹に巻きます。
事前に準備をした岩田帯を恵福寺に預けて祈祷をしていただき、朱印を帯にいただいてお腹に巻くのです。

参拝した際には、お地蔵様の背後にもあるたくさんのお地蔵様がいることも確認しましょう。
どのお地蔵様も細かなところまで描かれており個性的な顔をしています。
たくさんのお地蔵様が腹帯地蔵の功徳をサポートするように背後に並べており、これだけたくさんのお地蔵様に守られているという点でも安産祈願のお寺として有名なのです。

池上本門寺

日蓮聖人ゆかりの霊場として生まれた池上本門寺

池上本門寺は、日蓮宗の大本山となっているお寺です。
このお寺ができたのは、日蓮宗の始祖である日蓮聖人と大きな関わりがあります。

新しい教えを説き、その後の仏教に大きな影響を残した日蓮聖人ですが、61歳という年で生涯を終えます。
その臨終の際の霊跡として祀られるようになったのが、この池上本門寺なのです。
そのため、日蓮宗にとっては欠かせない重要な寺院であり、篤い信仰を集めています。

その後、時の権力者などからも大事にされてきました。
日蓮聖人の入滅後には、このお寺に7万坪もの土地が寄進され、現在の寺院の基礎が据えられました。
時代が下っても、人々から愛され崇拝されてきたという歴史を持っています。

こうした経緯を持つ池上本門寺ですので、地域の住民だけでなく、日本全国から参詣の人々の列が絶えません。
個人の参詣客はもちろんのこと、地方から来たと思われる団体の参詣人もよく見られ、いかにこのお寺が重要視されているかが分かります。

ここを訪れたら宝物の数々を見たい

お寺巡りの楽しみの1つとして、そこに収蔵されている文化財を見るというものがあります。
こちらの池上本門寺は、長い歴史と由緒を持つということで、たくさんの文化財、宝物を持っています。
毎週日曜日には、霊宝殿において宝物を公開していますので、お参りに来るなら、日曜日に来るのがいいでしょう。

宝物の公開は一気に行われているわけではなく、月毎に品が変わります。
そのため、私は定期的にこのお寺を訪れるようにして、毎回異なった文化財を見る機会を持つようにしています。
仏像や宝剣、書画など、たくさんの文化財がありますので、いつ来ても飽きることなく、ゆっくり時間をかけて見ることができます。

ゆっくりと休める場所が設けられているのがうれしい

池上本門寺は広大な境内を持っていて、その中には憩いの場となる、朗峰会館が建てられています。
ここでは、団体参詣客用の大部屋や食事処などがありますし、一般に解放されている休憩所やお土産屋さんなどがあります。
のんびりと境内を歩いて少し疲れたら、ここに立ち寄って休憩するのがいいですね。

休憩所から眺める景色も素晴らしく、緑が豊かなのでゆったりとして気分になれます。
お土産も充実していますので、いろいろチェックして気になるものを買っていきます。
最近では、お寺でもいろいろなグッズや縁起物を作っているので、お寺巡りにお土産をゲットするという楽しみが増えました。

また、この周辺ではきれいな場所があるので、景色をバックに記念撮影をしている人が多くいます。
着物をレンタルして、和の雰囲気の中思い出作りをしている人などもいて、とても和やかな雰囲気に包まれていまるのがいいですね。

業平山南蔵院

在原業平ゆかりのお寺、業平山南蔵院

業平山南蔵院は、天台宗の寺院で、比叡山延暦寺を本山としています。
南蔵院という名前のお寺は東京都内にもいくつかありますが、こちらは葛飾区に位置しています。

業平山南蔵院に関する歴史をひもといてみると、平安時代にまでさかのぼることが分かります。
業平山とも言うように、この時代に生きた歌人、在原業平と関わりがあるのです。

在原業平がこの地にいたとき、隅田川を下っていた舟が転覆してしまって、何人もの人が死んでしまいました。
人々の悲しみを見た在原業平は、仏像を自ら作るとともに、法華経の写しを作って、塚に埋め、亡くなった人たちの霊を慰めたのです。
この塚が、業平山南蔵院の礎となっていて、現在にまで続いているのです。

そのため、このお寺は隅田川と大変深い関係を持っています。
境内の造りもそれを表していて、敷かれている砂利は隅田川を模していて、そこにかかる参道は業平橋を指しています。
このように境内のデザインが隅田川を表しているということを知ると、ここを見る時、なんとなく感慨深い気持ちになりますし、よくもこんなアイディアを出したな、と感心します。

聖徳太子にもゆかりのあるお寺

業平山南蔵院の境内には、聖徳太子堂なるものがあります。
なぜここに聖徳太子が関係するのだ、と疑問に思って調べてみると、このお寺の前には、聖徳寺というお寺があって、聖徳太子が奉られていたのです。

そのため、今でも聖徳太子を奉り、日本の文化を形作った人物、そして国土を保護している神様として、崇敬の念を集めています。
つまやかな八角堂の造りをしているこの聖徳太子堂も、このお寺を参詣に来た際には見て置きましょう。

お寺にはいろいろな歴史が関わっていますので、事前に歴史知識や土地の情報を得てから行くと、よりお寺巡りが楽しくなりますね。
そして、その情報通りにいろいろな建物や収蔵品があるのを見ると、歴史を通じて人々がそれぞれのお寺をとても大事にしてきたというのを感じることができて、穏やかな気持ちになれます。

一服するのにも良いお寺

業平山南蔵院の境内には、一服できるお茶屋があります。
境内のきれいな景色や参詣に来る人々を眺めながら、薄茶をいただくと、なんだか不思議と落ち着いてのんびりできます。
ここには、お寺のグッズや縁起物、お土産品などが売られていますので、ちょっとこうした品々を眺めていくのも楽しいですね。

また、このお寺で気に入ってるのは、水琴窟があることです。
これは、手水の造りを工夫して、地面に瓶を埋め込み、水が落ちると、その瓶に反響して独特の高い音が出るものです。
古代の人の創意工夫に驚きながら、水の心地よい音を聞くと、ほっとしますので、ここに来た際にはぜひ試してみることをお勧めします。

高幡不動尊 金剛寺

平安時代にまでさかのぼる歴史を持つ寺院

高幡不動尊 金剛寺は、真言宗の寺院で、東京都日野市に位置しています。
建立されたのは、平安時代に清和天皇の勅命によるとされていて、非常に古い歴史を持つお寺であることが分かります。

江戸時代になると、このお寺は仏僧を教える談義所として用いられていたようで、たくさんの仏僧を世に送り出した、重要なところでもあります。
関東の三大不動の1つとして数えられていて、成田山新勝寺などとともに、とても有名なお寺となっています。

このお寺に来るなら縁日の日に来るのがお勧め

お寺巡りをいろいろとしていると、寺を訪れるタイミングによって、いろいろな顔が見られるということに気付きます。
あまり参詣客が多くない日に来ると、静かな落ち着いた雰囲気を味わえますし、お祭りなどが開催されている時に来ると、賑やかで楽しい雰囲気を楽しめます。

その点では、こちらの高幡不動尊 金剛寺には、縁日の日を狙ってくるのがお勧めです。
基本的には、毎月28日に縁日が行われていて、いろいろな露天や催し物がありますので、賑やかで明るい雰囲気のお寺を見ることができます。

やはり境内に人通りが多く、元気な感じがあると、お寺巡りをしていても楽しい気分になれますね。
縁日はお寺の1つの魅力でもありますし、歴史を通じて人々がお寺にお参りをする日ともなっていますので、こちらのお寺に来るなら、縁日のタイミングで来ることをお勧めします。

また、月の中旬には、ごされ市というがらくた市も開催しています。
毎回違った品々が売りに出されていますので、思わぬ掘り出し物がないかと、ゆっくり歩いてみるのも楽しい時間の過ごし方ですね。
このように、高幡不動尊 金剛寺は地域の人々との距離が近く、いろいろな催し物があるのが特徴で、ついつい足繁く通ってしまうお寺です。

歴史好きの人にも面白いお寺

お寺巡りをするにはいろいろな理由があるかと思いますが、歴史が好きなので、好きな人物や出来事にゆかりのあるお寺を訪れるという人もいます。
高幡不動尊 金剛寺も、歴史にまつわる話があるところなので、歴史好きの人にはたまらないお寺でしょう。

ここは、新撰組の副長であった土方歳三の菩提寺となっているため、土方歳三の銅像などが置かれています。
土方歳三の墓を持つお寺とも関係がありますので、新撰組に興味がある人は、この高幡不動尊 金剛寺を訪れてみると良いでしょう。

また、こちらのお寺の見所の1つとなっているのは、初夏のあじさいでしょう。
境内にたくさんのあじさいが植えられていますので、梅雨の時期には見事なあじさいを見ることができます。
常にイベントがあったり、季節による見所があったりと、とても魅力に満ちているお寺ですので、この高幡不動尊 金剛寺はお寺巡りをする中でも、欠かせない場所でしょう。

深大寺

東京でも指折りの古刹、深大寺

深大寺は、東京都調布市にある寺院で、東京都の中でも指折りの長い歴史を持っています。
天台宗のこのお寺は、天平5年、西暦733年に開かれたとされていて、実に1,300年近い歴史を誇ります。
この歴史の長さは、東京の中では浅草寺に次ぐもので、いかに長い間人々の信仰を集めていたかが分かります。

お寺の建物も見事で、江戸時代の雰囲気を残す鳳凰の彫り物などが作り込んであって、見応えがあります。
このお寺は江戸時代の末期に火災に見舞われて、消失してしまったようですが、見事に修復されているように感じます。
お寺に置かれている釈迦如来倚像も、この火災によってかなり大きなダメージを被ってしまったようですが、在りし日の面影を残す、重厚な雰囲気はそのままだということです。

いくつものわき水があるのがこのお寺の特徴

お寺や神社の境内には、わき水があることが多いものです。
この深大寺も例外でなく、しかもいくつもの水源があり、水が豊富なのが特徴と言えるでしょう。

しかも、この湧水によって滝が形成されていて、美しい景色を境内に作っています。
この不動の滝は東京都の名湧水の1つにも選ばれていて、水質の良さや醸し出す雰囲気が素晴らしいことが評価されています。
こちらの深大寺を訪れるなら、この滝を見ていかなくてはなりません。

このわき水は、地域の住民に大きな恵みを与えたことは間違いなく、時代を通じてこのお寺が愛され、大事にされてきた理由の1つとなっていると言えるでしょう。
また、深大寺を始めこの一帯は、上質の水が湧くため、人々の生活を豊かにしてきました。

その代表例として、お寺周辺にたくさんのそば屋さんがあることを挙げられるでしょう。
名店と呼ばれる、昔からの老舗もありますし、まるでそば屋街道とも言えるくらい、たくさんのそば屋さんが軒を連ねています。
行きがけに一軒、帰りがけにもう一軒と、この深大寺に参拝に来たついでに、そば屋によっておいしいそばをたぐるのが、1つの楽しみとなっています。

そば好きの私には、お寺巡りもできて、おいしいそばも食べられて、大変うれしい場所ですね。
たくさんのお店がありますので、来る度新しい味を試してみる楽しみがあります。

縁結びのお寺として結婚式にも人気

こちらの深大寺では、結婚式も執り行っているという、ちょっと珍しいお寺です。
というのも、このお寺を開いた満功上人の息子と、息子が恋した一人の娘が、奇跡的な仕方で恋を成就させ結ばれたという逸話が、このお寺に伝わっているため、縁結びの力を持つ寺院として知られているからです。

(参考記事)
深大寺ホームページ

お寺の本堂にて、厳かな空気の中、仏前結婚式を挙げられるように、しっかりとしたプランを持ていますので、興味のある方は、まずはこちらのお寺を見学して見ると良いでしょう。