北野天満宮

道真公を祀る神社

平安時代の識者である菅原道真公は学問の神様として知られています。
菅原道真公を御祭神としてお祀りする天満宮、神社は全国に12000社ありますが、そのうち、北野八幡宮は総本社です。
天神信仰の発祥の地として存在し、地域の皆さんは北野の天神さん、北野さんと親しみを込めて呼んでいます。

創建は平安時代中期、947年です。
西ノ京に暮らす多治比文子、近江国比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍たちが菅原道真公をお祀りする神殿を建立したことが始まりとされています。
藤原氏によって社殿の大規模造営を果たし、987年、一条天皇の勅使の派遣によって国家平安が記念されました。
この時、神号として北野八幡宮が認定され、1004年、代々皇室の御崇敬をうけることによって崇められてきたのです。

学問の神様として知られるようになったのは、江戸時代、読み書きを教える寺子屋が多くなり、そこに天神様をお祀りしたり、道真公のお姿を描いた御御影を掲げるようになり、武芸や学業に秀でるように祈られるようになったことが始まりとされています。

天のエネルギーが満ちる場所

古き時代、帝がおわした大極殿は京都御所の西にあたり、都の守護をつかさどる北東、北西、南東、南西という四方の北西にあたり、乾の地として重要視されていました。
ここに天神地祇がお祀りされている地主社が建立されたのです。

帝が大極殿より祈りをささげられる際、三辰信仰と結びつき、天のエネルギーが満ちる聖地と親交されるようになりました。
更に菅原道真公がお祀りされるようになるといよいよパワーが満ち溢れ、天空をつかさどる天神の社、霊験あらたかな天神信仰発祥の地となったのです。

三辰信仰は、古代より太陽と月、星の運行が天皇、国家国民の平和、安寧に深くかかわるとする信仰の事です。
北野天満宮の三光門はこの三辰信仰に深く結びつくものですが、実は三辰信仰に欠かすことのできない日(太陽)、月、星のうち、星の彫刻だけ見当たりません。
これは、帝が北野天満宮を遥拝される際、三光門の上に北極星があったことから星は刻まれなかったと伝わっています。
星欠けの三光門として有名な場所なので、北野天満宮にいったら是非、確認してほしい場所です。

受験生は大黒天の燈籠へ

三光門から東南の位置に立つ石燈籠を見ると大黒様が刻まれていることがわかります。
大黒様のお口が開いているのですが、このお口に小石を乗せてみて、その小石が落ちないようならお金に困る事がないといわれています。

また、落ちない、ということから受験生にとって縁起がいいと広まって、現在では多くの受験生が訪れるスポットとなっています。
非常に古い石燈籠なので、小石を乗せる時には傷をつけたりすることがないように、そっと置くようにしましょう。

貴船神社

縁結びの神様として注目される貴船神社

貴船神社は縁結びの神様として人気があります。
若い女性が良縁を求めて貴船神社にお参りする姿をよく見ます。
貴船神社には貴船の物語という伝説があり、縁結びの場として人気が高いのです。

この物語は釈迦草子という室町時代末期に書かれた恋物語に読むことができます。
内裏の扇合わせでみかけた女房の絵姿に中将が恋をします。
鞍馬の奥の岩穴から鬼の国へ、そこで天女にも勝るような美しい鬼の姫宮と出会いますが、姫の父である鬼の大王が責めるため、姫は中将を守るために命を捨てます。
その後、姫は中将の伯母の娘に生まれ変わりますが、節分の夜に二人を襲います。

鞍馬の毘沙門の霊言のとおりに、炒り豆で鬼を撃って退け、五節句を営むことで鬼軍を追い払います。
二人は幸せを掴み仲睦まじく暮らし、その後、姫は貴船大明神となり中将は「まろうど神」となり衆生を守る事になったというお話です。
物語の最後にも、恋に迷う人へ貴船の大明神を信じ奉れることで成就ができる旨が書かれているのです。

立場が違いとても成就しないであろう男女でも、お互いに思う心が強ければきっと神様が味方すると伝えているのです。
こうした物語を呼んでも、貴船神社が縁結びの神様という事が納得できます。

全国の貴船神社の総本社

全国には450の貴船神社がありますが、ここ京都の貴船神社はその総本社です。
神武天皇の御母が黄色い船に乗って貴船川をさかのぼってこの地に到着され、水神をまつったという伝説があり、これが貴船の名前になったと伝えられています。
奥宮境内には神武天皇の御母が乗ってこられた黄色い船を小石で覆った御船型石を見ることができます。

水の神様、という事で晴れてほしい時には白馬を奉納し、雨が降ってほしい時には黒馬を奉納していたというお話もあります。
昔は天候によって食物が全く取れないという事もあったので、貴船神社は縁を結ぶという事以外にも、地域に暮らす民の祈りがささげられる場所だったのです。

本宮には伊弉諾尊、御子神の高靇神が祀られています。
高靇神が水をつかさどる神とされ、雨を降らせ、雨と止めるという龍神であると伝えられています。
創建に関しては文献などが残っていないため明らかではありませんが、天武天皇白鳳4年には貴船神社があったと伝えられているため、創建はかなり古いと想像されています。

貴船神社に行くなら水占いを経験してほしい

恐ろしい位によく当たるといわれる貴船神社の水占いは、結婚される前に訪れてやってみるというカップルが多いといいます。
水の神様がおられる貴船神社ですから、その的確な占いは恐ろしい・・といわれるほどです。

神社で売られている水占い用の神を200円で購入し、境内の水に浸します。
すると文字が浮かび上がるのですが、もしも悪い結果でもがっかりせず、貴船神社の神様に、厄災を払っていただけるように真摯に祈れば大丈夫です。
水占いの神を浸す清水は強い浄化の力があるとされ、触れることで自らの穢れをとる事が出来るといわれています。

石清水八幡宮

「やわたのはちまんさん」で親しまれている

日本三大八幡宮の一つに数えられる京都府八幡市にある石清水八幡宮は、やわたのはちまんさんと親しまれています。
男山の山上に鎮座する石清水八幡宮は、都から見ると裏鬼門の方角に位置し、鬼門となる位置に鎮座する比叡山延暦寺と共に、都を守護する国家鎮護の社として崇敬を受けています。
信仰上の要といわれるこの地に古くから鎮座する石清水八幡宮は、地域の方々に「やわたのはちまんさん」と親しまれ、信仰の主軸として尊ばれてきました。

国家の重大事となる天変地異の際などに朝廷からの奉幣を受けた二十二社に数えられ、伊勢神宮と共に、一社に数えられる歴史も格式も高い八幡宮です。
創建は平安時代前期、860年、1150年もの歴史を持ち、境内は本殿や国の史跡をはじめとして16棟の建造物など多くが国の重要文化財に指定されています。
厄除け、必勝の神社として、多くの方が参拝される格式高い八幡宮です。

日本最大級の五輪塔

石清水八幡宮、頓宮殿から西に200mほど行くと日本最大級と呼ばれる非常に大きな石造りの五輪塔を見ることができます。
高さが6mほどあり、下部方形の一辺は2.4mという圧倒的な大きさを誇る五輪塔です。

この五輪塔については刻銘がないので誰が何の目的で制作し、石清水八幡宮に建立されたのかわかっていません。
ただ、伝承として高倉天皇の御代において、中国との貿易をしていた尼崎の商人が、石清水八幡宮で祈願したことで海難を免れたため、感謝の気持ちと御礼を込めて建立したという事が伝えられ、この五輪塔は「航海記念塔」とも呼ばれているのです。

また忌明塔という名で呼ばれることもあります。
ご両親が亡くなり、喪が明ける際に、喪中の穢れを清める際に参拝した、また、鎌倉時代の武士の例を慰める武者塚としての塔などといわれ、、輪塔そのものが仏塔の一つであり、供養塔や墓の意味を持つものとされるため、この様に呼ばれることもあるのです。

勝負石ともいわれる一ッ石

三ノ鳥居から本殿に続く石畳、参道の三ノ鳥居付近中央を見ると、その場所だけに自然石が露出している場所があります。
この石は、一ッ石、勝負石、お百度石と呼ばれています。

一ッ石、勝負石と呼ばれる所以は、走馬・競馬の出発点になっていたことに由来するといわれます。
お百度石と呼ばれるのは、この自然石がお百度参り、千度参りの起点となっていたことに由来すると伝えられています。
勝負必勝、勝運の石とよばれ、勝負ごとに開運をもたらすといわれる石です。

なぜ?エジソン記念碑があるのか

石清水八幡宮にはエジソン記念碑があります。
なぜ石清水八幡宮とエジソン?と思う方も多いのですが、エジソンが白熱電球の長時間の点灯持続と実用化に成功した竹が八幡の竹だったことから、石清水八幡宮にエジソン記念碑があるのです。

昭和9年に石清水八幡宮の境内隣に建立され、昭和33年、現在の位置に移転、さらに昭和59年にデザインを新しく建立されたものです。
エジソンの誕生日と命日には両国家を奏そう、国旗掲揚を行うエジソン生誕祭・碑前夜祭が行われています。

熱田神宮

三種の神器とかかわりの深い熱田神宮

熱田神宮の創建は第十二代影行天皇の時代にさかのぼります。
日本武尊が東国平定の岐路、尾張で尾張国造乎止与命の娘である宮簀媛命と結婚、その際、草薙御剣をお妃の手元に留め置きます。
伊勢国能褒野で日本武尊が亡くなり、妃である宮簀媛命は熱田後に社地を定め草薙御剣を奉斎鎮守し、これが熱田神宮の始まりといわれています。
三種の神器の一つである草薙御剣が熱田神宮に奉斎されたことで、熱田神宮は伊勢神宮に次いで格式高い神宮とされ、この辺りに暮らす人々から「熱田様」「宮」と親しまれてきました。

歴史深い境内は6万坪という広さを餅、樹齢千年を超えるという大楠が鎮座しています。
宝物館には熱田神宮に対し、皇室をはじめとする多くの崇敬者が寄せた奉納品が6000点も保管され、展示されています。
古くからこの地で信仰の対象となってきた熱田神宮は、主な祭事、神事だけでも年間70を数え、このことからもこの熱田神宮の格を感じさせます。

近隣住民が集う癒しの場所として

境内は古くから雲見山、蓬莱島という名で知られ、都会の中でも静寂な空間を保っている場所として、近隣住民がいつでも通ってくる癒しの場所となっています。
6万坪の境内の中には、クスやケヤキ、カシやシイなどたくさんの木々を見ることができ、特にこの熱田神宮境内には巨木が多いという事でも知られています。
弘法大師がお手植えされたという「大楠の巨木」、さらには長咲いても実がなる事のない「ならずの梅」茶人たちが愛好する「太郎庵椿」など心休まる木々が静かに来訪者を待っています。

パワースポットとしての熱田神宮

熱田神宮には「お清水様」と呼ばれる清水社があります。
本殿の東、御田神社北にある目の神様です。
ここには楊貴妃の墓石と伝えられる丸い石が、清水の中ほどに据えられていて、この石に柄杓でお水を3回かけると願いを叶えてくれるといわれています。

奥宮の一之御前神社から清水社までの道は「こころの小径」と呼ばれ、人通りこそ少ないのですが、かなり強いパワーを秘めているといわれます。
聖域とされるこの場所は一部写真撮影も携帯の使用も禁止されています。

一ノ御前神社は本宮、西側に伸びる小径の奥にありますが、ここは以前立入禁止とされていた区域です。
2012年に一般公開された場所ですが、天照大神の荒魂が祀られており、熱田神宮で最も強いパワーがあるとされます。
ここも写真撮影禁止の場所です。

この他、戦国武将として知名度の高い織田信長、徳川家康が修繕に関わったという別宮八剣宮、そのすぐそばにある上知我麻神社もパワースポットです。
上知我麻神社は千恵の文殊様として知られているほか、その脇にある事代主社には大黒様が祀られています。
千恵と家内安全、商売繁盛、なんとも御利益豊かな場所です。

武蔵一宮氷川神社

古き歴史を持った神社

武蔵一宮氷川神社の歴史をたどると、今から2000年もの昔、第五代孝明天皇の御代にまでさかのぼります。
御祭神は八俣大蛇を退治したと伝えられる須佐之男命、さらに大己貴命、稲田姫命です。
須佐之男命は、天照大神、月読命と共に伊弉諾より生まれたとされる三貴子の一神です。

大己貴命は須佐之男命の御子、国土経営の神と呼ばれます。
稲田姫命は須佐之男命の御妃、大己貴公命の御母神です。
国道経営、民福安昌を祈願するために、この御三神が武蔵一宮氷川神社にお祀りされました。

第十二代影行天皇の御代に、日本武尊は東夷鎮定の為の祈願をされたと伝わり、第十三代政務天皇の御代には兄多毛比命が朝廷より命を受けて、武蔵国造となり武蔵一宮氷川神社を奉り、善政を行ったということで武蔵一宮氷川神社は格式がより高くなったと伝えられています。

武蔵一宮氷川神社の魅力はさまざま

ちょっと遠くなりますが、神奈川県横浜市、ここにある有名な氷川丸は武蔵一宮氷川神社から名前をとりました。
氷川丸の船内、神棚には武蔵一宮氷川神社の神紋「八雲」が用いられています。

境内には須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の御祭神である氷川神社御本殿、稲田姫命の御親神である門客人神社、大己貴命と国土経営に関わった少彦名命の天津神社、その他多くの摂社等があります。
天津神社は医学薬学・恵比寿様、宗像神社は夫婦神・弁天様、住吉神社は航海の神、雷神社は農林業の神など14の神様が祀られているので、お祈りしたい事についてそれぞれの神社にしっかりお参りしたいものです。
この他にも、境内には美しい自然がそこかしこに残り、神池、ひょうたん池、白鳥池なども見どころとなっています。

明治天皇の御親祭とは

明治天皇が都を東京に遷されたのは明治元年です。
その際、武蔵国の鎮守勅祭の社として武蔵一宮氷川神社を定めます。
同じ年、10月28日、明治天皇が武蔵一宮氷川神社へ行幸、祭儀を執り行わせられ、明治3年11月1日に御親祭あらせられました。
なぜ御親祭を行ったのかというと、桓武天皇が平安遷都で折賀茂社をお祀りしたという御例に沿って行ったといわれています。

この御親祭の様子は、山田衛居筆の13mという長き絵巻物として武蔵一宮氷川神社に残されており、社宝として保管されています。
明治天皇の御親祭50年祭は大正6年に、100年祭は昭和42年に厳粛、なおかつ盛大に執り行われ、次回、150年祭となるのが平成29年です。
歴史深き武蔵一宮氷川神社で執り行われる明治天皇の御親祭を見ることができるというのも、この時代に生きているからこそ、これは見ておきたいと思う方が多いでしょう。

境内は四季折々に美しい姿を見せてくれます。
武蔵一宮氷川神社には池が多く、そこにある木々が四季の移り変わりによって色を変えていくさまは、言葉で表現できないほどに美しい風景となります。

鹿島神宮

鹿島神社は関東最古の神社

神武天皇元年に創建されたという鹿島神社は茨城県鹿嶋市宮中にある由緒正しい神社です。
全国各地に鹿島神社と呼ばれる神社がありますが、その総本山でありますし、常陸国風土記という書物にも鹿島神社の名が出てくるという位、古い歴史を持った神社です。

御祭神は武甕槌大神「たけみかづちのおおかみ」は、天照大神の命を受け、香取神宮御祭神経津主大神「ふつぬしのおおかみ」と共に出雲に天降りて、大国主命「おおくにぬしのみこと」と話し合いを行い、国譲りが成就、日本建国に挺身とされています。

初代神武天皇の御代、御東征の際窮地に陥り、その際、武甕槌大神の韴霊剣によって救われ、その神恩を感謝し、御即位の年に大神を勅祭したとされています。
平安時代には国の守護神として信仰され、20年に一度社殿の建て替えを行う造営遷宮も行われていたのです。
中世から近世では徳川井家康などの名だたる武将たちが尊崇し、「武神」として信仰されるようになりました。
現在、鹿島神宮の社殿は徳川二代将軍であった徳川秀忠によって奉納され、奥宮は徳川家康が、桜紋は水戸初代藩主徳川頼房によって奉納されたものです。

パワースポットと呼ばれる鹿島神宮

歴史ある鹿島神宮にはたくさんのパワースポットがあるとして注目されている場所でもあります。
境内にある要石は、おおなまずを押えて地震が起こらないようにしたといわれる石で、個々のパワースポットとして有名ですし、お手洗池と呼ばれる美しい湧水が湧き出す場所もパワースポットです。

要石はこれが?と思うくらい顔を出している部分は小さいのですが、実は地中深く埋まっていて、徳川光圀(水戸黄門様)が調べた際、あまりにも深く何日かかっても掘り出すことが出来ず、しかも作業した人間が高熱を出すという不吉なことが起ったのでそれ以上掘り出すのを辞めたという逸話も残っています。

君が代に出てくる「さざれ石」

私達日本国民の国家、君が代には「さざれ石」という言葉が出てきます。
さざれ石とは小さい石という意味があるのですが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄がうめて一つの大きな石になった物です。

国家の中に出てくるさざれ石は、細かい石や小石が集まって小石が巌(固く強固な石)となって、その上に苔が生えるまで世が続くとうたわれています。
国家の由来となったさざれ石は岐阜県揖斐川町春日のさざれ石だといわれていますが、鹿島神宮でも国家に出てくるさざれ石がどのようなものか、実際に小石が巌となった姿を見ることができるのです。

神鹿と御神木・御宝物

鹿島神宮の神の使い、「神使」は鹿です。
鹿といえば春日大社などが有名なのですが、鹿島神宮に暮らす鹿は、その春日大社からやってきた神鹿です。
余談ですが、Jリーグの鹿島アントラーズは鹿島神宮の神鹿にちなみつけられた名前です。
アントラーは、鹿の枝角の事を指しているのです。

御神木は樹齢1300年を数える高さ40mという圧倒的な大きさを誇る杉の木です。
宝物館には、国宝指定の直刀、重要文化財の梅竹蒔絵鞍、雪村筆の百馬図などが展示されており見ることができます。

伊勢神宮

お伊勢さんと親しまれている伊勢神宮

伊勢神宮は古くからお伊勢さんなどと親しみを込めて呼ばれ、この周辺地域はもちろんの事、全国各地からお参りに行かれる方が非常に多い神宮です。
伊勢神宮、またお伊勢さんや大神宮さんなどと呼ばれていますが、正式名称は神宮です。

皇室の御先祖の神様とされる大御祖神「天照大神」をお祭りする内宮・皇大神宮、さらに衣食住、産業の守護とされる豊受大御神をお祭りする豊受大神宮、このほかに14の別宮と43の摂社、24の末社をあわせ125という数の宮社すべてが「神宮」です。
近年では2005年から各行事が始まり、2009年に主要行事であり内宮に関わる宇治渡始式が行われ、2013年に正遷宮が斎行された事でも注目を集めた伊勢神宮は、古くからお伊勢参り等行われ、国民に親しまれ、尊ばれてきた神宮です。

内宮

内宮・皇大神官は御祭神に天照大神、御鎮座されておられるのが垂仁天皇です。
2000年の昔、垂仁天皇の御代から五十鈴川ほどりに鎮座している内宮は、皇室の御先祖とされ、日本国民からすれば総氏神として崇められる天照大神をお祀りしている場所です。
入口には宇治橋があり、そこを渡ると玉砂利が美しく敷き詰められた参道が見えます。

内宮正官が皇大神宮、そこに天照大神がお祀りされています。
別官は荒祭宮(天照大神の荒御霊をお祀りしている)、月読宮(天照大神の弟神、月読尊をお祀りしている)、瀧原宮(度会郡大紀町にある内宮別宮・遙宮であり天照大神御魂をお祀りしている)、伊雑官(志摩市磯部町にある内宮別官、天照大神をお祀りしている、個々で行われる御田植式は日本三大御田植祭の一つ)、風日祈宮(内宮の神域内である風日祈宮橋側にある別宮、風雨をつかさどるといわれる級長津彦命・級長戸辺命をお祀りしている)、倭姫宮(伊勢市楠部町にある内宮別官、倭姫命をお祀りしている)があります。
この他、古代より神事の際に行われてきた神楽を行う内宮神楽殿、参拝される方が心身を清めるための五十鈴川と、そこにかかる神聖な世界への架け橋と呼ばれる宇治橋などがあります。

衣食住と産業の守護、豊受大神宮

伊勢市中心部にある高倉山を背にして鎮座するのが豊受大神宮です。
祀られている豊受大御神は天照大神のお食事をつかさどっています。
衣食住と産業の守護として崇拝されます。

正宮・豊受大神宮(正式名称は豊受大神官)は、豊受大御神をお祀りしている場所です。
1500年の昔、丹波国から天照大神のお食事をつかさどる御饌都神「みつけかみ」としてこの地に迎えられました。
外宮御垣内、東北に位置する場所には御饌殿があり、そこで朝夕二回、天照大神、相殿、別宮の神々に日別朝夕大御饌祭として、食事がお供えされます。

別宮は多賀宮(外宮神域内、石段を上ると見えてくるのが外宮第一別宮、豊受大御神の荒御魂をお祀りしている)、土宮(神域内、大土及御祖神をお祀りしている)、月夜見宮(伊勢市宮後町にあり、月夜見尊、月夜見尊荒御魂をお祀りしている)、風宮(神域内、御池西側にあり、級長津彦命、級長戸辺命をお祀りしている)があります。
更に、内宮にあったように外宮にも神楽殿があります。

お伊勢参りといえば

伊勢神宮にお参りに行くのなら、やはり伊勢神宮内宮入口まで続く参道にあるおかげ横丁を見て回りたいです。
赤福が有名な伊勢ですが、その赤福の社長さんが指揮をとり、140億円という費用をかけて1993年に完成したのがおかげ横丁です。
伊勢らしい建築様式の建物、またこの地にその昔あったという桑名の洋館などが再現され、非常に雰囲気のいい横丁となっています。
伊勢うどんに赤福、土日に行われている神恩太鼓など、見どころ満載のおかげ横丁は、ただ歩いて雰囲気を感じるのも楽しいです。

烏森神社

平安時代に創建された歴史ある神社

烏森神社は、東京の新橋に位置する神社で、大変長い歴史を持っています。
その創建された時期は、平安時代にまでさかのぼるようで、西暦940年が創建の年とされています。

この年に、平将門による乱が起きましたが、これを鎮圧した時の将軍、藤原秀郷が戦勝の感謝を捧げるために、神慮によってこの地に神社を建てたと言われています。
その際には、白狐が現れて、この場所を指図したということですので、特別な導きのもとに造られた神社と言えるでしょう。

現在は、都市化が進んでいて、建物が密集した場所に神社がありますが、昔は閑静な場所で、ひなびた雰囲気の中に建っていたようです。
江戸時代になると、稲荷神社参りブームが起こって、その中でもこの烏森神社の人気は高く、江戸の都市のうちでも、一、二を争うほどの参拝客が訪れていたという記録が残っています。

また、江戸時代には街の多くを焼き尽くして甚大な被害をもたらした、明暦の大火の被害に遭うところを奇跡的に免れました。
周りの建物は燃えてしまいましたが、この神社だけが焼失から残ったため、神力によるものだという人々の考えが広まり、そのご利益を求めて、さらに大勢の人がこの神社に訪れるようになったという逸話も残っています。

いろいろなご利益がある神社

神社への参拝をする人は、生活に関する感謝とともに、ご利益を求めて祈願をしに来ます。
その点で、この烏森神社はご利益が多く、参拝に適したところだと言えるでしょう。
ここでは、平将門の乱を鎮圧したという故事にちなみ、必勝祈願が筆頭に挙げられます。
そのため、仕事で重要なプロジェクトを行っている人や、受験前の学生などが多く訪れます。

また、天細女命という芸事の神様を奉っているのも、この神社の特徴です。
そのため、芸能人を始め、芸事を上達したいと考える人が、祈願をするのにとても良い神社で、実際このご利益を求めて参拝に来る人は少なくないようです。

色分けされたおみくじが楽しい

神社の定番といえばおみくじでしょう。
その時の運勢を占い、それをこれからの生活の戒めとして過ごしていきます。

ほとんどの神社ではおみくじを置いていますので、私は神社を巡る度におみくじを引くようにしています。
神社によって、おみくじの独自色があって面白いのも魅力の1つですね。
運の命名の仕方や、説明がユニークだったり、ためになる言葉が書かれいたりと、それぞれの神社によって違うのがうれしいところです。

その点、烏森神社の神社は、4つの色に色分けされておみくじが作られているのが楽しいところです。
願い事の種類によって色が違うので、いろいろな色のおみくじが結ばれている光景は、他の神社に見られないもので、楽しいですね。

築土神社

平将門を祀る象徴的な神社

この築土神社は、天慶3年、西暦940年に創建された、とても由緒のある神社で東京都千代田区に位置しています。
平将門が亡くなって、その遺骸を収めたのが、この神社の始まりであるとされています。
各地に平将門のまつわる神社はたくさんありますが、その中でもこの神社は、象徴的な神社で、中心的な役割を担ってきました。

言い伝えでは、平将門の首を保管していた首桶や自画像が神社の宝とされていたそうです。
しかし、惜しむらくは戦火の渦に巻き込まれることによって、こうした大変貴重な宝が消失してしまったのです。
平将門という武将は、個人的にとても好きな人ですので、神社巡りと合わせてこの武将ゆかりの地を回れるのは、一石二鳥でうれしいですね。

この築土神社で祀られている神様は、天津彦火邇々杵尊で、その他に平将門と菅原道真が祀られています。
武将の神社ということで、武の象徴でもあり、日本武道館の氏神様ともなっているのが、とても面白いですね。

たくさんの貴重な宝があるのが魅力

こちらの築土神社は、長い歴史を持つとともに、有力人物の信仰を集めていたということもあって、貴重な宝をいくつも収蔵しています。
残念なことに、太平洋戦争の戦火によって、多くが消失してしまって残っていないのです。
残されている収蔵品、たとえば貴重な刀剣や美しい書画も、一般には公開されていませんので、ホームページの写真や神社側で見せてくれる写真でしか、その様子を知ることはできません。

せっかくたくさんの貴重な宝があるのですから、いつか一般にも公開してくれることを願っています。
また、何かの機会に特別展示でもしてくれるなら、間違いなくいの一番に駆けつけるでしょうね。

神社の魅力はいろいろなところにありますが、1つにはこうした昔から伝わる宝の数々ですので、ぜひ拝見してみたいものです。
こうした貴重な品が収蔵されているということを覚えておくだけでも、神社の成り立ちや歴史を知ることができるので、思いを新たにして参拝を行うことができますね。

ビル街の中で行われる例大祭

現在の築土神社は、ビジネスビルなどに囲まれて、少し窮屈な感じがします。
土地が開けていた昔は、例大祭のために、たくさんの露天がオープンし、とても華やかだったと、当時を知る人に聞きました。
現在ではスペースの関係でしょうか、こうした露天がほとんど見られませんが、その代わりに、この例大祭が開かれる一週間は、町内でいろいろなイベントや出店ができますので、多少なりとも華やかな雰囲気を楽しむことができます。

街の中にひっそりとたたずむ、歴史ある神社ですので、そのたどってきた歴史を思い起こしながら、現代人の生活を守ってくれていることに感謝しながら参拝したいものです。

神田明神

平将門にまつわる神社

この神田明神は、正しくは神田神社といい、東京都千代田区に位置しています。
同神社が創建されたのは、西暦730年にまでさかのぼります。
大変歴史のある神社で、古くから崇敬の念を集めていたことが分かります。

(参考記事)神田明神ホームページ

その後、時代が下り平将門が活躍し死を遂げた後、首塚周辺で様々な出来事が起き、人々に恐れをもたらすという事態が生じました。
そのため、平将門の霊を慰めるために、この神田明神に祀られるようになったのです。

こうした事情もあって、その後名だたる武将たちの信仰を集める場所となりました。
たとえば、江戸城の建築に大きく関わった太田道灌などがここまで参拝に来たことが知られています。
そして、徳川家康も、関ヶ原の戦いに出かける前に、この神社に寄って戦勝祈願をしたと言い伝えられていて、いかにこの神社が武将たちに崇敬されていたかが分かります。
そして、とりわけ徳川幕府にとって重要な神社の1つとなったのです。

東京の地を守る守護神となる

江戸幕府は代々の将軍がこの神田明神を大事にし、ことあるごとに神社とのつながりを示してきました。
その信仰は明治になっても引き継がれ、明治天皇自らが神田明神に趣き、参拝を行っていたほどです。

こうして神田明神は、東京の地において特別な神社としての位置を占めるようになり、この地を守る守護神として人々に愛されているのです。
こうした歴史的背景を知った上で、この神社を参拝すると、大きな感謝の念を持ってお参りをすることができますね。
いつでも人の流れが途切れることなく、多くの参拝客があるのは、こうした人々の思いが根底にあるからなのでしょう。

都内に住む私としても、こうしたことを考えると、神田明神へのお参りは欠かせません。
常日頃の感謝を込めて、足繁く通うようにしなくてはなりませんね。

夜のお参りがお勧め

神田明神は、壮麗な社殿と清々しいしい雰囲気を醸し出している境内がとてもきれいなので、見応えがある場所ですが、中でも夜の神社はその美しさが引き立ちます。
ライトアップされていて、色とりどりの門の鮮やかさが際立ち、感動すら覚えるような素晴らしさを見せてくれます。

その美しさを見ようと、夜の時間にも多くの人が訪れていますので、その活気も神社の魅力の1つでしょう。
夜にここまできれいな景色が見られる神社は少ないので、つい通ってしまいます。
交通の便も良く、夜でも比較的来やすいのもうれしいところです。

こうしてみると、神社というのはいろいろな楽しみ方があるものです。
昼の顔と夜見せてくれる顔が違うので、いろいろと今まで神社を巡ってきましたが、今度は夜に今まで行った神社を訪れても面白いかなとも考えているところです。