大雲院・祇園閣

京都の隠れた観光地、大雲院・祇園閣

京都を観光するとなれば、多くの人が有名な神社仏閣を中心に観光ルートを組んでいきます。
その中でも外せない場所が金閣寺と銀閣寺です。

この二つの名前が出てくると、多くの人が一度は「なぜ金閣寺と銀閣寺があるのに銅閣寺がないのだろうか」と思ったことがあるものです。
実は昔には同じことを考えて銅閣を作った人がいます。
この銅閣とも言える場所が大雲院・祇園閣です。

大雲院とは

大雲院というのは天正15年に織田信長、信忠親子の菩提を弔うために勅令で建てられた寺院です。
寺の名前は織田信忠の戒名から取られています。

創建当初の大雲院は現在の烏丸二条にあり、その後豊臣秀吉によって寺町四条へと移転をします。
そして、昭和48年に現在の祇園、東山界隈に移転をしており、この最後に移転をした場所が大成建設や帝国ホテルの創始者でもある大倉喜八郎氏の別邸の一部です。

大倉喜八郎氏が「金閣と銀閣があるから銅閣を作ろう」という意思で京都の名物を作ろうと考えて、老後保養の地として用意していた別邸に銅閣を建設することを計画しました。
そこで、設計をするにあたっては築地本願寺や平安神宮を手がけた有名な建築家に依頼をしたものの、希望を伝えたところ無理があるということで話し合いをして祇園閣と命名されたものが誕生します。

その後、この保養地に大雲院が移転することになります。
それによって祇園閣は大雲院の所有となり、大雲院が公称しているわけではないものの、銅閣を所有するお寺に大雲院がなったのです。

祇園閣はどのようなものになっているのか

大雲院は昭和62年に開祖400年を迎えた時に、記念として世界遺産でもある中国の敦煌莫高窟の壁画が模写されました。
祇園閣そのものは国の登録有形文化財ですが、その内部は世界遺産という面白い構造となっています。
内部は残念ながら撮影禁止なので入口から雰囲気を除くことしかできません。

祇園各内部を探索しながら登っていくと、息が切れてきたところで一気に視界がひらけていきます。
祇園閣は高さが36メートルもあり、高層建築物なのです。
そのため、祇園閣の楼上からの眺めはとてもよく、京都市内を見渡すことのできる数少ない貴重な絶景スポットです。

大雲院は織田信長・信忠親子を弔う寺院ですから境内には墓地もあります。
それ以外にも有名な大泥棒である石川五右衛門の墓もここにあり、歴史が好きな人が連日多くの人が足を運んでいます。

弔っている人たちがゆっくり過ごせるようにといった配慮や貴重ノア文化財を多数所持しているといった観点から、普段は非公開の寺院です。
そのため公開される場面はとても貴重なものであり、公開されるタイミングは毎年様々ですから定期的に公開情報をチェックしておくことが必要です。

今宮神社

玉の輿神社としても有名な今宮神社

京都市北区にある今宮神社は別名玉の輿神社としても有名です。
その名の通り玉の輿の夢を叶えたいと思っている女性に人気を集めています。

社務所では玉の輿のお守りも用意されていますし、門前名物のあぶり餅も人気です。
女性を中心にパワースポットとして注目を集めており、参拝客がどんどんと増えています。
ここでは、この今宮神社がどのような神社であるのかを紹介していきます。

今宮神社とは

今宮神社は、正暦5(997)年に京都で流行した疫病を鎮めるために創建された神社です。
毎年4月の第二日曜日には悪霊退散を願うお祭りである「やすらい祭り」が行われ京都の春の風物詩となっています。
練り衆と呼ばれる行説は椿や桜といった花が飾られた大きな花笠があり、この花笠に入ると1年間厄を逃れられるという言い伝えがあり、多くの人が花笠の中に入りたいと集まります。

やすらい祭は鞍馬の火祭、広隆寺の牛祭と共に京都三大奇祭の一つとされています。
国重要文化財にも指定されている大きなお祭りです。

今宮神社の見どころ

境内南側に建つ造営は1926年と比較的な新しいものです。
鮮やかな朱色と荘厳な姿は参拝客の多くが足を止めています。

境内の東側にも門があり、ここのそばには門前名物のあぶり餅のお店が営業しています。
そのため東門から入る参拝客が多いので、この辺りはいつも賑わっている場所です。

南側の楼門と違い東門はコンパクトで質素です。
周辺は木々に囲まれているために四季折々の景色が楽しめ、こちらは写真撮影に絶好の場所として多くの人がカメラを持って訪れています。

今宮神社では大己貴命、事代主命、奇稲田姫命を祀っており、健康長寿や開運のご利益があるとして有名です。
それと合わせて有名なのが女性の多くが憧れる玉の輿です。

この玉の輿のご利益はのちの桂昌院となるお玉さんのシンデレラストーリーが由来となっています。
京都西陣の八百屋の娘であるお玉さんは多くで側室のお世話がかりとして働いていたのですが、その後将軍家光に見初められて側室となり、綱吉の生母となったのです。

庶民が大奥で権力を握るというとても素敵なシンデレラストーリーを持つお玉さんも故郷が懐かしかったとし、氏神様でもある今宮神社が忘れられずにいたとされており、縁の深い人物とされています。
そのため、今宮神社とお玉さんは長く深い関係にあったということから、玉の輿にご利益のある神社として信仰されるようになったのです。
そのため、今では境内に多くの女性参拝客が訪れて健康長寿と合わせて玉の輿を願うようになったのです。

川越氷川神社

縁結びで有名な川越氷川神社

川越氷川神社は埼玉県の小江戸として有名な川越の中でもパワースポットとして知られている場所です。
毎年夏に行われる祭事の縁結び風鈴は来場者が30万人を超えると言われており、とても賑わいます。
恋の願いを短冊に書いて風鈴に結び良縁を願うことができる祭事であり、境内に吊り下げられた無数の風鈴が揺れる姿は感動すること間違いありません。

昼間の明るい中で揺れる風鈴も素敵ですが、夜はライトアップされて幻想的な空間に変わります。
美しい景色とともにぜひ良縁を願うためにも訪れてみたいスポットです。

川越氷川神社の歴史

川越氷川神社は1500年もの歴史を持つ神社であり、出雲大社の縁結びの神様と同じ大己貴命(おおなむちのみこと)も祀られています。
良縁を求めて全国的に様々な地域から参拝客が訪れており、たくさんの方から厚く信仰をされています。

この川越氷川神社が特に参拝客で賑わうのが7月から9月の初旬まで開催される縁結び風鈴という特別な祭事です。
2014年にスタートしたまだまだ新しい祭事なのですが川越の夏の新たな風物詩として人気を集めています。

シンボルエリアとなる風鈴回廊を始め、境内は風鈴の美しい音色が響き渡ります。
境内には11種類、約2000個もの風鈴が飾られており感動すること間違いありません。

夜の雰囲気は格別

酷暑と言われる埼玉の夏も、夜になれば少し涼しくなります。
境内も歩きやすくなりますし、夜のライトアップも楽しめるということで夜に参拝する人も多いです。
ライトアップされた風鈴の幻想的な雰囲気と神社の柔らかな光はとても印象深く、デートにも最適です。

2017年からは新たな行事として恋あかりというものが始まっています。
風鈴に見立てた特製のぼんぼりを持って夜の神社や街を散策することができ、非日常的な空間を楽しめるとして人気です。

恋あかりの期間中には恋あかり特別良縁祈願祭が毎日18時半から開催されます。
新たな良縁を願ったり、恋人同士の良縁を願ったりするだけでなく、夫婦や家族、友人など大切な人とずっと仲良く過ごせるようにと願う特別な祈祷がされます。
ぜひずっと一緒にいたいと願う相手と一緒に参加して良縁を願いましょう。

祈願祭終了後には授与品としてぼんぼりを受けることができます。
祈願初穂料は一人1500円となっており、授与品だけでなくぼんぼりは社務所でも同じ初穂料一つ1500円で購入をすることもできます。
せっかくの記念ですからぜひ初穂料を納めてぼんぼりを持ち帰りましょう。

また、合わせて短冊を購入して風鈴に願い事を書いた短冊を付けてくることもオススメです。
神道においては鈴の音は祓い清める役割と神様を招いてお力をいただく役割があるとされており、風鈴にはそのような深い思いが込められています。

尾山神社

強いパワースポット尾山神社

金沢市民だけでなく地方からも多くの人が訪れるパワースポットとして有名な神社に尾山神社があります。
和漢洋の神門というのはとても珍しいために観光客が増えています。

この尾山神社は勝負運や縁結びに強いと言われており、病気の平癒祈願訪れる人も多いです。
加賀藩前田家よりの拝領石も置かれているためにあちこちで強いパワーがみなぎっている神社でもあります。

尾山神社と前田家

尾山神社は加賀藩初代藩主である前田利家公とその正室、お松の方が祀られています。
年末年始にはたくさんの初詣客でにぎわう由緒ある神社でもあります。
拝殿は入母屋造りのとても見事な外観です。

神門は明治8年に建てられたものであり、和漢洋の三様式が混在しているとても珍しい鋳物です。
第一層には戸室石が施されており、最上部にある避雷針は日本では最も古いものです。
避雷針が危険を遠ざけるということから病気を遠ざける強いパワーを持っていると言われています。

上層部にはステンドグラスがはめ込まれています。
夜にはライトアップがされ、美しく幻想的であり、他ではみられない不思議な空間となっています。
ライトアップは通年を通して行われており、神社前を通る百万石通りと呼ばれる国道157号線からも眺めることが可能です。

東神門

東神門は旧金沢城の二の丸の門とされている門です。
桃山風御殿様式の唐門であり、有形文化財にも指定されています。
明治3年以来、旧卯辰山招魂社前にあったのですが昭和38年に移築されています。

宝暦9(1760)年の大火の際、金沢城は大部分が焼けてしまいました。
しかし、この門に彫刻されている二頭の龍が水を呼び、火から守ったということが言い伝えられています。

この彫刻はとても美しく素晴らしいのでぜひこの彫刻についても見学をしたいものです。
大きな火事の際に残ったということで、残るということからずっと生きるという意味合いを持っていると考えられています。

金谷神社

尾山神社の敷地内にある金谷神社は前田家の代々藩主やその夫人を祀っています。
神社のそばにはさし石(力石)というものが置かれており、これは加賀藩前田家よりの拝領石です。
その昔この石を担いで力や技を競ったとされている石です。

この辺りの地域柄もあり、このようなことは盛んに行われたと考えられています。
体を使うことで健康的な生活を送るという歴史もあることから、多くの人がこの石を触って健康に生活できるようにと祈願しています。
力比べに勝つということから病気に勝つという意味合いもあると考えられているため、病気の治癒を願って訪れる人も多いです。

晴明神社

神秘的な逸話のある晴明神社

晴明神社は名前の通り、陰陽師の始祖として有名な安倍晴明が祀られている神社です。
そのため魔除けや厄除けの霊験があるとされておりパワースポットの中でも最強の場所とも言われています。

1007年に一条天皇が晴明神社を建てる前にはこの場所は安倍晴明の屋敷でした。
そのため、安倍晴明が生活をしていた場所に神社が建立されています。

晴明神社の鳥居の額には神社名やお祀りしている神様の名前は書かれていません。
その代わりに星のようなマークが描かれています。
これは晴明桔梗という社紋でありこのようなものが鳥居の額に描かれているのはとても貴重です。

晴明桔梗とは

晴明桔梗というのは五芒星(ごぼうせい)とも呼ばれます。
陰陽道では祈祷呪符としても使われています。

五芒星が表す陰陽道の基本概念となる陰陽五行説の五つの元素は木、火、土、金、水です。
この五芒星に守られた境内を歩くとそれだけでパワーをいただけたり魔から守られたりするような不思議な感覚がします。

五芒星には魔除けの効果があることでも知られています。
晴明神社ではいたるところで目にするものであるため、五芒星に守られている晴明神社は最強のパワースポットとも言われているのです。

一条戻橋

一条戻橋は鳥居をくぐるとすぐ左手に見える小さな橋です。
この橋は晴明神社から100メートルほどの場所にかかっている本物の一条戻橋の部材を使って再現されているレプリカになっています。

橋のかたわらには式神という鬼神の石像が置かれています。
一条戻橋には晴明が使役していた式神が実在していたということを裏付けるエピソードがあることでも有名です。

晴明が屋敷に住んでいた頃、式神に雑用をさせていたと言われています。
しかし、晴明の奥さんがその姿を断り一条戻橋の下に式神を封じ込めます。
そこで閉じ込められた式神たちが橋を通る人たちの橋占いをしたと言われています。

本物の一条戻橋を架け替えるさい、工事で木箱が出土し、その中には地位アナ人形が入っていたことで式神は本当にいたのではないか、本当に橋のしたに封じ込まれたのではないかという話になったのです。
そこで式神は伝説のものではなく晴明とともに今でもこの場所に実在していると多くの人が信じています。

神社内にある橋はレプリカですが、晴明が行き来していた見える世界と見えない世界とを結ぶ象徴的なものと考えられています。
そこで、その橋を通ってぜひ晴明のいた時代のことやその不思議な空気感を味わってみましょう。

晴明の銅像の右側には厄除桃という桃があり、この表面はぜひ触って帰りましょう。
桃は厄除け祈願の効果があるとされているものです。
さわればわかるのですが、多くの人が触れたことでツルツルになっており、それだけ多くの人が厄除け祈願のために訪れていることが伺えます。

浅間神社

パワースポットとしても有名な浅間神社

千葉県流山市流山にある浅間神社(せんげんじんじゃ)はパワースポットとして親しまれている流山市指定文化財である富士塚が社殿裏にあります。
この富士塚に登れば本当の富士山に登ったのと同じご利益があると言われている凄い場所です。
富士山を訪れることができない参拝者の願いや想いが本当の富士山に飛んでいき成就されると言われています。

このような信仰から江戸時代から信仰の対象となっている場所です。
御最新である木花開耶姫命が火の中で出産したことにちなんで安産、子育て、縁結び、夫婦円満のご加護があるとされています。

御神祭である

浅間神社は江戸時代前期である正保元(1644)年に創建されています。
御最新は女性の神様である木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメノミコト)です。

社殿裏には県内でも有数の規模を誇る富士塚があります。
富士山はその美しさから畏敬の念が強く抱かれており、日本人の信仰の対象となっています。
そのような存在であるために富士山に極楽浄土やご利益を求めて富士参拝が江戸時代から流行を見せます。

しかし、流山地域というのは富士山が遠くにあるために富士登山をするというのは不可能に近いものでした。
そこで、富士山の溶岩を使って本物にそっくりな富士山を流山に作って敬ってきたのです。

社殿裏にある富士塚

浅間神社の社殿裏にある富士塚は高さが6メートルもある県内でも大規模なものです。
本物の富士山の噴火ぼく石を積んで作っているものであり、このぼく石というのは実際に富士山が噴火した時に流れ出た溶岩が固まってできたものです。

富士塚の頂上には木花開耶姫の蔑称である富士浅間大神と書かれた石碑が建てられています。
その中腹には多くの石造物が建てられており、一合目から頂上に至ります。
登山道が設けられていますが岩が非常に尖っていますから安全に注意が必要です。

この富士塚の頂上まで登ると本物の富士山に登ったのと同じ効果やご利益を得られるとされています。
登山する時には六根清浄 お山は晴天という言葉を唱えます。

この六根清浄 お山は晴天という言葉にある六根というのは私たちの目、耳、鼻、舌、身、意をさしており、清浄というのは清らかになるという意味です。
つまり、一日ずつ踏みしめながら登ることで清められる、自分自身が全身を清らかにするということも意味として含まれています。

頂上の浅間浅間神社と書かれている石碑のすぐしたに位置する9合目あたりから本物の富士山を望むことができます。
本物の富士山までは120キロメートルもあるのですが、冬の晴れた日であれば空気が澄んでいるためにこんなにも離れている富士山を綺麗に観ることができます。

北野天満宮

道真公を祀る神社

平安時代の識者である菅原道真公は学問の神様として知られています。
菅原道真公を御祭神としてお祀りする天満宮、神社は全国に12000社ありますが、そのうち、北野八幡宮は総本社です。
天神信仰の発祥の地として存在し、地域の皆さんは北野の天神さん、北野さんと親しみを込めて呼んでいます。

創建は平安時代中期、947年です。
西ノ京に暮らす多治比文子、近江国比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍たちが菅原道真公をお祀りする神殿を建立したことが始まりとされています。
藤原氏によって社殿の大規模造営を果たし、987年、一条天皇の勅使の派遣によって国家平安が記念されました。
この時、神号として北野八幡宮が認定され、1004年、代々皇室の御崇敬をうけることによって崇められてきたのです。

学問の神様として知られるようになったのは、江戸時代、読み書きを教える寺子屋が多くなり、そこに天神様をお祀りしたり、道真公のお姿を描いた御御影を掲げるようになり、武芸や学業に秀でるように祈られるようになったことが始まりとされています。

天のエネルギーが満ちる場所

古き時代、帝がおわした大極殿は京都御所の西にあたり、都の守護をつかさどる北東、北西、南東、南西という四方の北西にあたり、乾の地として重要視されていました。
ここに天神地祇がお祀りされている地主社が建立されたのです。

帝が大極殿より祈りをささげられる際、三辰信仰と結びつき、天のエネルギーが満ちる聖地と親交されるようになりました。
更に菅原道真公がお祀りされるようになるといよいよパワーが満ち溢れ、天空をつかさどる天神の社、霊験あらたかな天神信仰発祥の地となったのです。

三辰信仰は、古代より太陽と月、星の運行が天皇、国家国民の平和、安寧に深くかかわるとする信仰の事です。
北野天満宮の三光門はこの三辰信仰に深く結びつくものですが、実は三辰信仰に欠かすことのできない日(太陽)、月、星のうち、星の彫刻だけ見当たりません。
これは、帝が北野天満宮を遥拝される際、三光門の上に北極星があったことから星は刻まれなかったと伝わっています。
星欠けの三光門として有名な場所なので、北野天満宮にいったら是非、確認してほしい場所です。

受験生は大黒天の燈籠へ

三光門から東南の位置に立つ石燈籠を見ると大黒様が刻まれていることがわかります。
大黒様のお口が開いているのですが、このお口に小石を乗せてみて、その小石が落ちないようならお金に困る事がないといわれています。

また、落ちない、ということから受験生にとって縁起がいいと広まって、現在では多くの受験生が訪れるスポットとなっています。
非常に古い石燈籠なので、小石を乗せる時には傷をつけたりすることがないように、そっと置くようにしましょう。

貴船神社

縁結びの神様として注目される貴船神社

貴船神社は縁結びの神様として人気があります。
若い女性が良縁を求めて貴船神社にお参りする姿をよく見ます。
貴船神社には貴船の物語という伝説があり、縁結びの場として人気が高いのです。

この物語は釈迦草子という室町時代末期に書かれた恋物語に読むことができます。
内裏の扇合わせでみかけた女房の絵姿に中将が恋をします。
鞍馬の奥の岩穴から鬼の国へ、そこで天女にも勝るような美しい鬼の姫宮と出会いますが、姫の父である鬼の大王が責めるため、姫は中将を守るために命を捨てます。
その後、姫は中将の伯母の娘に生まれ変わりますが、節分の夜に二人を襲います。

鞍馬の毘沙門の霊言のとおりに、炒り豆で鬼を撃って退け、五節句を営むことで鬼軍を追い払います。
二人は幸せを掴み仲睦まじく暮らし、その後、姫は貴船大明神となり中将は「まろうど神」となり衆生を守る事になったというお話です。
物語の最後にも、恋に迷う人へ貴船の大明神を信じ奉れることで成就ができる旨が書かれているのです。

立場が違いとても成就しないであろう男女でも、お互いに思う心が強ければきっと神様が味方すると伝えているのです。
こうした物語を呼んでも、貴船神社が縁結びの神様という事が納得できます。

全国の貴船神社の総本社

全国には450の貴船神社がありますが、ここ京都の貴船神社はその総本社です。
神武天皇の御母が黄色い船に乗って貴船川をさかのぼってこの地に到着され、水神をまつったという伝説があり、これが貴船の名前になったと伝えられています。
奥宮境内には神武天皇の御母が乗ってこられた黄色い船を小石で覆った御船型石を見ることができます。

水の神様、という事で晴れてほしい時には白馬を奉納し、雨が降ってほしい時には黒馬を奉納していたというお話もあります。
昔は天候によって食物が全く取れないという事もあったので、貴船神社は縁を結ぶという事以外にも、地域に暮らす民の祈りがささげられる場所だったのです。

本宮には伊弉諾尊、御子神の高靇神が祀られています。
高靇神が水をつかさどる神とされ、雨を降らせ、雨と止めるという龍神であると伝えられています。
創建に関しては文献などが残っていないため明らかではありませんが、天武天皇白鳳4年には貴船神社があったと伝えられているため、創建はかなり古いと想像されています。

貴船神社に行くなら水占いを経験してほしい

恐ろしい位によく当たるといわれる貴船神社の水占いは、結婚される前に訪れてやってみるというカップルが多いといいます。
水の神様がおられる貴船神社ですから、その的確な占いは恐ろしい・・といわれるほどです。

神社で売られている水占い用の神を200円で購入し、境内の水に浸します。
すると文字が浮かび上がるのですが、もしも悪い結果でもがっかりせず、貴船神社の神様に、厄災を払っていただけるように真摯に祈れば大丈夫です。
水占いの神を浸す清水は強い浄化の力があるとされ、触れることで自らの穢れをとる事が出来るといわれています。

石清水八幡宮

「やわたのはちまんさん」で親しまれている

日本三大八幡宮の一つに数えられる京都府八幡市にある石清水八幡宮は、やわたのはちまんさんと親しまれています。
男山の山上に鎮座する石清水八幡宮は、都から見ると裏鬼門の方角に位置し、鬼門となる位置に鎮座する比叡山延暦寺と共に、都を守護する国家鎮護の社として崇敬を受けています。
信仰上の要といわれるこの地に古くから鎮座する石清水八幡宮は、地域の方々に「やわたのはちまんさん」と親しまれ、信仰の主軸として尊ばれてきました。

国家の重大事となる天変地異の際などに朝廷からの奉幣を受けた二十二社に数えられ、伊勢神宮と共に、一社に数えられる歴史も格式も高い八幡宮です。
創建は平安時代前期、860年、1150年もの歴史を持ち、境内は本殿や国の史跡をはじめとして16棟の建造物など多くが国の重要文化財に指定されています。
厄除け、必勝の神社として、多くの方が参拝される格式高い八幡宮です。

日本最大級の五輪塔

石清水八幡宮、頓宮殿から西に200mほど行くと日本最大級と呼ばれる非常に大きな石造りの五輪塔を見ることができます。
高さが6mほどあり、下部方形の一辺は2.4mという圧倒的な大きさを誇る五輪塔です。

この五輪塔については刻銘がないので誰が何の目的で制作し、石清水八幡宮に建立されたのかわかっていません。
ただ、伝承として高倉天皇の御代において、中国との貿易をしていた尼崎の商人が、石清水八幡宮で祈願したことで海難を免れたため、感謝の気持ちと御礼を込めて建立したという事が伝えられ、この五輪塔は「航海記念塔」とも呼ばれているのです。

また忌明塔という名で呼ばれることもあります。
ご両親が亡くなり、喪が明ける際に、喪中の穢れを清める際に参拝した、また、鎌倉時代の武士の例を慰める武者塚としての塔などといわれ、、輪塔そのものが仏塔の一つであり、供養塔や墓の意味を持つものとされるため、この様に呼ばれることもあるのです。

勝負石ともいわれる一ッ石

三ノ鳥居から本殿に続く石畳、参道の三ノ鳥居付近中央を見ると、その場所だけに自然石が露出している場所があります。
この石は、一ッ石、勝負石、お百度石と呼ばれています。

一ッ石、勝負石と呼ばれる所以は、走馬・競馬の出発点になっていたことに由来するといわれます。
お百度石と呼ばれるのは、この自然石がお百度参り、千度参りの起点となっていたことに由来すると伝えられています。
勝負必勝、勝運の石とよばれ、勝負ごとに開運をもたらすといわれる石です。

なぜ?エジソン記念碑があるのか

石清水八幡宮にはエジソン記念碑があります。
なぜ石清水八幡宮とエジソン?と思う方も多いのですが、エジソンが白熱電球の長時間の点灯持続と実用化に成功した竹が八幡の竹だったことから、石清水八幡宮にエジソン記念碑があるのです。

昭和9年に石清水八幡宮の境内隣に建立され、昭和33年、現在の位置に移転、さらに昭和59年にデザインを新しく建立されたものです。
エジソンの誕生日と命日には両国家を奏そう、国旗掲揚を行うエジソン生誕祭・碑前夜祭が行われています。

熱田神宮

三種の神器とかかわりの深い熱田神宮

熱田神宮の創建は第十二代影行天皇の時代にさかのぼります。
日本武尊が東国平定の岐路、尾張で尾張国造乎止与命の娘である宮簀媛命と結婚、その際、草薙御剣をお妃の手元に留め置きます。
伊勢国能褒野で日本武尊が亡くなり、妃である宮簀媛命は熱田後に社地を定め草薙御剣を奉斎鎮守し、これが熱田神宮の始まりといわれています。
三種の神器の一つである草薙御剣が熱田神宮に奉斎されたことで、熱田神宮は伊勢神宮に次いで格式高い神宮とされ、この辺りに暮らす人々から「熱田様」「宮」と親しまれてきました。

歴史深い境内は6万坪という広さを餅、樹齢千年を超えるという大楠が鎮座しています。
宝物館には熱田神宮に対し、皇室をはじめとする多くの崇敬者が寄せた奉納品が6000点も保管され、展示されています。
古くからこの地で信仰の対象となってきた熱田神宮は、主な祭事、神事だけでも年間70を数え、このことからもこの熱田神宮の格を感じさせます。

近隣住民が集う癒しの場所として

境内は古くから雲見山、蓬莱島という名で知られ、都会の中でも静寂な空間を保っている場所として、近隣住民がいつでも通ってくる癒しの場所となっています。
6万坪の境内の中には、クスやケヤキ、カシやシイなどたくさんの木々を見ることができ、特にこの熱田神宮境内には巨木が多いという事でも知られています。
弘法大師がお手植えされたという「大楠の巨木」、さらには長咲いても実がなる事のない「ならずの梅」茶人たちが愛好する「太郎庵椿」など心休まる木々が静かに来訪者を待っています。

パワースポットとしての熱田神宮

熱田神宮には「お清水様」と呼ばれる清水社があります。
本殿の東、御田神社北にある目の神様です。
ここには楊貴妃の墓石と伝えられる丸い石が、清水の中ほどに据えられていて、この石に柄杓でお水を3回かけると願いを叶えてくれるといわれています。

奥宮の一之御前神社から清水社までの道は「こころの小径」と呼ばれ、人通りこそ少ないのですが、かなり強いパワーを秘めているといわれます。
聖域とされるこの場所は一部写真撮影も携帯の使用も禁止されています。

一ノ御前神社は本宮、西側に伸びる小径の奥にありますが、ここは以前立入禁止とされていた区域です。
2012年に一般公開された場所ですが、天照大神の荒魂が祀られており、熱田神宮で最も強いパワーがあるとされます。
ここも写真撮影禁止の場所です。

この他、戦国武将として知名度の高い織田信長、徳川家康が修繕に関わったという別宮八剣宮、そのすぐそばにある上知我麻神社もパワースポットです。
上知我麻神社は千恵の文殊様として知られているほか、その脇にある事代主社には大黒様が祀られています。
千恵と家内安全、商売繁盛、なんとも御利益豊かな場所です。